- 作品番号
- 21115
- 作者
- 作品名
- 天明五年大典顕常観日出茜富士真景図
- 作品詳細
「乙巳十月余自江戸還阻富士河三宿吉原駅
日出野外飽望冨士山時属晴明芙蓉只尺雪
色可掬因展楮図其形状悉依所観之真西帰
後倩手圓山生成斯幅云
天明丙午人日蕉中識」紙本着色 二重箱入 51×28.5 62×120.5cm 天明6年(1786)応挙54歳 顕常68歳
- 略歴
【円山応挙】
江戸中期の絵師。円山派の祖。丹波国桑田郡穴太村に農家の次男として生まれる。10代の頃に京都に奉公に出た先で眼鏡絵に出会い、主人の勧めもあって石田幽汀に狩野派の画法を学び始め、画家としての頭角を現す。写生に最も重きを置いたことでも知られる。夏雲、雪汀、一嘯、仙嶺、僊斎、星聚館、鴨水漁史、攘雲、洛陽仙人と号す。応門十哲を始めとした数々の門人たちの指導にもあたった。寛政7年(1795)歿、63歳。
【大典顕常】
江戸中期の臨済宗の僧。相国寺第113世。近江生。法諱は顕常。俗姓は今堀、通称は太一郎。号は大典、蕉中、梅荘など。8歳で黄檗山華蔵院に入ったが臨済宗に転じ、11歳のとき相国寺慈雲庵で得度。独峰慈秀の法嗣となる。宇野明霞や大潮元皓に儒学、詩文を学んだ。安永8年(1779)相国寺住持となり、京都五山碩学と朝鮮修文職を任じられる。相国寺が天明の大火で被災した際には典籍の再収集、再建に尽力した。六如慈周や伊藤若冲の支援者として知られる。また売茶翁と親交があり、『売茶翁偈語』の巻頭となった「売茶翁伝」を著している。享和元年(1801)寂、83歳。
- 価格(日本円)
- 売約済
- Item number
- 21115
- Artist
- Caption
- Materials : ink and colour on paper
wooden boxed (double)
Size : W 51 × H 28.5 cm (Image) ・ W 62 × H 120.5 cm (Mount)
Painted in 1786 at the age of 54(Okyo),68(Kenjo). - Price(JPY)
- Sold out