- 作品番号
- W-137
- 作者
- 作品名
- 吉田松陰肖像
- 作品詳細
「三分出廬兮諸葛已矣夫一身入洛兮賈彪安在哉
心師貫高兮而無素立名志仰魯連兮遂乏釈難才
読書無功兮樸学三十年滅賊失計兮猛気廿一回
人譏狂頑兮郷党衆不容身許君国兮死生吾久斉
至誠不動兮自古未之有古人難及兮聖賢敢追陪己未五月吾執拘送関左馬角羝乳帰期無定諸友謀使浦無窮肖吾像吾自
賛之顧無窮知我者豈特写吾貌而已哉況吾之自賛乎嗚呼吾去矣諸友対此
冝為隔世想吾即磔市此幅乃有生色也
二十一回猛士藤寅書惟吉田寅二郎像也矩方字子義萩藩士幼名大二郎有所避改今名実杉百合之助二子也見当吉田氏
因冒之其祖曰松野平助中将信忠公之近臣明智氏之乱曽殉於二條城子孫仕毛利矦有故改吉田氏寅二
郎慵慨有大志幼読史籍畧通古今成敗之理及閲西洋各国割拠之図憤然有膺懲之志長而益固其所経
歴危儉難苦臨之憪然不敢疑懼好踏其実地以試堪否将以成他日之用自幼至壮殆死而蘇者凡二十
有一回固号二十一回猛士弘化丙午自英夷来浦賀乞通親欲以区々一身当百萬虎狼自投夷舶以為其
所志醜虜亦頗知其防之甚厳以遺于 官 々令錮之於萩府而其志益鋭百折不屈多方彌縫之又
著時勢論以冒 天聴上書三位大原卿以訴其意衷於是大迕 幕議終陥刑獄以死焉其就縛也
留此像以附親戚故舊其賛之永訣之語耳臨鼎鑊之間従容作絶命詞又有和正気歌之詩皆審
於縛吾集中 自就縛以来有詩数十首死後友人某々編之名曰縛吾集 条客歳辛酉之春遊於萩府得詰其友人某家之幅写以帰
毎対此像毛髪聳立不寒而栗時々掲之以此他針砭云爾
文久二年壬戌秋八月 適処小史正墻薫朝華描并書」紙本着色 箱入 49×112 64.5×182.5cm 文久2年8月(1862)45歳 少オレ 箱傷ミ 松蔭没後すぐの模写
- 略歴
江戸時代後期の武士。因幡鳥取藩士。字は醇夫、朝華。通称は新蔵。号は適処、研志堂。江戸で佐藤一斎、大阪で篠崎小竹に学ぶ。諸国を遍歴したのち、嘉永6年鳥取へ帰り、藩儒官として学制改革につとめた。明治6年私塾を開き、教育のかたわら詩書画を能くした。明治8年(1875)歿、58歳。
- 価格(日本円)
- 850,000
- Item number
- W-137
- Artist
- Title
- Portrait of Yoshida Shoin
- Caption
- Materials : ink and colour on paper
wooden boxed
Size : W 49 × H 112 cm (Image) ・ W 64.5 × H 182.5 cm (Mount)
Painted in 1862 at the age of 45.
Condition: slightly creased / slightly damaged on the box
Painted soon after Yoshida Shoin's death - Price(JPY)
- 850,000