- 作品番号
- 17012
- 作者
- 作品名
- 天正十七年三月二十一日付消息
- 作品詳細
「御音問祝着之至候。仍下候義親馬競望之由
被□昏面之儀ニ候。近年雖令称蔵候義、
葦毛之馬進之候。可然之様ニ馳走任入候。
然者田様申候事尤常陸調策之旨候キ
倂日候て不調ニ候此上心□□可及其到候
於時有可御心安候事々期後年候恐々謹言
三月廿一日 正宗[花押]
[読み]
御音(ごおん)問(もん)祝着(しゅうちゃく)の至(いた)りに候。仍(さ)て下(くだ)し候義親(よしちか)、馬(うま)競(きそ)い望(のぞ)むの由(よし)、
□され昏面の儀に候。近年称(あ)げ蔵せしめ候義と雖も、
葦毛(あしげ)の馬、これを進(しん)じ候。然(しか)るべきの様に馳走任(まか)せ入(い)り候。
然は田様申候事尤(もっとも)(にて)常陸(ひたち)調策之旨(むね)候キ。
併(なら)び候て不調に候。此の上心□□其の到るに及ぶべく候。
時に御心安かるべく候。事々後年(こうねん)に期(ご)し候。恐々謹言。
三月廿一日 正宗[訳文]
お便り誠に有り難う御座います。さて、下した義親(小峰義親)から、競べ馬を望まれているのを聞き、困っています。近年、馬を集めさせている所ですが、葦毛の馬を差し上げます。任せるので、そのようにしてやってください。なお田様の言うことは尤もで、常陸の地で探すとのことです。いずれも不調です。この上、心の・・・・となるはずです。このような時ですが、どうぞご安心ください。一つ一つの事は後年に期待したいと思います。恐々謹言。
〇小峰 義親(こみね よしちか、或いは結城氏)天文十年(1541年)― 寛永三年(1626年))
戦国時代から江戸時代初期にかけての大名、武将。白河結城氏十三代当主。白河結城氏の庶流である小峰氏を継ぐ。天正三年(1575)義顕を追放し、結城(白河)姓を名乗って自らが白河結城氏の当主となった。天正十七年(1589)には敵対していた伊達氏に服属した。天正十八年(1590)の豊臣秀吉の小田原征伐の際、参陣しなかったため秀吉に所領を没収された。慶長六年(1601)には伊達政宗に召し抱えられ、子孫は仙台藩士となった。〇本書状は、佐竹氏の許で敵対してきた義親が、伊達正宗に下った年、天正十七年(1589)のものと考えられる。」
紙本 箱入 32×34.5 34×109cm 表具少シミ 本紙少オレ
- 略歴
江戸前期の大名。米沢生。仙台藩初代藩主。幼少時疱瘡を病んだことにより右眼を失明。このことから後世独眼竜と呼ばれた。畠山・蘆名氏を破り奥州を制覇。のち豊臣秀吉に従い朝鮮出兵に赴いた。関ヶ原の戦い・大坂の陣では徳川方として参戦。徳川家康の治世となると、初代仙台藩主として仙台藩の基礎を固めた。支倉常長を筆頭とする慶長遣欧使節をローマへ派遣するなど、海外へも広く目を向けた。また茶湯を千利休・古田織部に学び、和歌・能楽・書も巧みであった。寛永13年(1636)歿、70歳。
- 価格(日本円)
- 売約済
- Item number
- 17012
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- ink on paper
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